子供のころ理科の実験で、二酸化マンガンに過酸化水素水を混ぜると酸素が発生し、試験管から酸素がブクブクと湧き上がってきた光景や音を今でも鮮明に覚えています。教室の全員誰がやっても、何回やっても同じ結果が生まれます。小学校から大学まで16年間も、こうすれば「必ず」ああなる、という答えが用意された勉強をしていると、すべての事がそうなのだという幻想に取付かれてしまいます。
新入社員のとき何をやってもサッパリうまくいかない。そんなとき先輩から「うまくいく秘伝を授けてやろう」と言われ伝授されたのが「恥かけ」(格好つけるな・物怖じするな・失敗を恐れるな!)(「新人の失敗は会社の宝」:先輩たちの合言葉)、同時に「汗かけ」(足を動かせ、すぐにやれ、軽いフットワークだ!)でした。「答えがあると思っているから、失敗を恐れ、手も足も口も動かないのだ。」「思い通りにならないのが当たり前の世界が社会だ!」と。こうして16年間培ってきた(?)幻想を取払う第一歩を踏み出したのですが、しばらくすると「額に汗かく」だけでなく、「脳みそにも汗かけ」(よく見て、聞いて、読んで=現場の情報をインプットして考えろ)が加わりました。さらに、次は「肝臓に汗かけ」(お客さんとの懇親)が追加されました。そしてさらに、これがお前に授ける最後の秘伝だ、ということで「字かけ」(アウトプット)という指令が下されました。
以上のような一連のプロセスのどこに秘伝があるのか? それは、思考回路を180度逆転させろということ、つまり従来の思考は、うまくいく理論がどこかにあって、それを現場に当てはめれば成果がでる、したがって、うまくいく答えを誰かに教えてもらおうというもので、社会人思考は、現場が先にあって現場からある限定された部分を抽出したものが理論である、したがって、行動によって現場にのめり込むことによって理論があとからついてくるというもの(「先現後理」:社内での呼び方)。思考回路を逆転させるために頭での理解をもってしても形状記憶合金のようにすぐに元に戻ってしまう。そうではなくて身体の動作をもってするとそれが構造化し無意識のうちに社会人としての思考回路が形成されるところに秘伝の秘伝たる所以があると、この頃になってやっと気づいたわけです。
プロフェッショナルになるための「答え」があるのではなく、「問い」続けるのがプロフェッショナルなのです。